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平安神宮・応天門1

写真: 平安神宮・応天門1

写真: 平安神宮・応天門より1 写真: 京セラ美術館より庭園3

京セラ美術館の前の道をまっすぐ行くと平安神宮です。

桓武天皇が大極殿ではじめて正月の拝賀を受けた延暦15年(796)から1100年目に当たる明治28年(1895)に、桓武天皇を顕彰する祭典「平安遷都千百年紀念祭」が開催されることになり、桓武天皇を奉祀する神社として平安神宮が創建されました。
応天門は平安京の大内裏の正庁だった朝堂院に南面する門で古くは大伴氏が守衛したので大伴門とも言ったそうです。

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タグ: 平安神宮

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コメント (8)

  • みちのく三流写真家

    広い敷地ですね。

    2021年5月5日 14:30 みちのく三流写真家 (155)

  • マンドリニストQ

    長〜く広〜い"道"ですね (@@)/

    2021年5月5日 15:07 マンドリニストQ (4)

  • キューチャン

    国内勧業博→平安神宮+岡崎公園ということのようで、
    生まれ、成り立ちは大阪の通天閣+新世界と同じなのに、育つ土地柄によってかくも違った空気のものに育つものだな、と思います。
    それにしても明治時代とはいえ、街中によくもこんな広大な土地が確保できたものですね。

    2021年5月5日 18:55 キューチャン (36)

  • kame

    みちのく三流写真家さん、コロナ以前は観光客で賑わっていたので広さを感じたことがなかったのですが 人出が減って見通せると改めて広いな〜と思いました。

    2021年5月5日 21:19 kame (12)

  • kame

    マンQさん、平安京をイメージして造られているそうなので この長〜く広〜い道は朱雀大路のイメージなのかもしれませんね。

    2021年5月5日 21:21 kame (12)

  • kame

    キューチャンさん、天王寺の大阪市立美術館の場所には茶臼山住友家本邸があったそうですね。しかし隣接地で国内勧業博が催されて周囲の雰囲気が一変、建築早々に大阪市に土地を寄贈して退散したのだとか・・大阪の勧業博も京都と同じ雰囲気だったら茶臼山別荘群が出来ていた可能性もあるのですが やっぱり文化が全然違いますよね・・

    2021年5月5日 21:34 kame (12)

  • 雨蛙0922

    奥行を感じる素敵なショットですねー

    2021年5月8日 19:44 雨蛙0922 (10)

  • kame

    雨蛙0922さん、この方向から平安神宮に行ったことがなかったので 奥行き感のある立派な参道だったんだ〜と初めて発見。この絵を撮りました。

    2021年5月9日 08:57 kame (12)

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